花房観音 -Hanabusa Kannon-

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妬湯(うわなり湯)

 有馬温泉街を散策して、ふと目に留まった。

 

「妬湯(うわなりの湯)」だ。

 名前の由来は「嫉妬」だ。

 昔、ある人妻が、夫の愛人を殺して、自分も深い温泉に身を沈めた。その愛人が美しかったのだろうか……その後、美しい女性がここに立つと、湯が100度以上に沸騰したという。また、自分の憎い心や悪口を言って罵ればたちまち沸くとも言われている。

 

 私はこのところ、何があったわけではないけれど、自分の根深い嫉妬心についてずっと考えていた。強く、激しく、他人を恨み、自分を苛み続けている嫉妬心。いつまでたっても、逃れられない。ずっと昔の、過去の嫉妬の感触が、未だに残って離れない。嫉妬は、背後霊のように、私に憑りついている。ひとりの人を、ではない。たくさんの人を、私は妬んでいる。どんなに幸せな気分になっても、ふと嫉妬の感情が蘇り、心を地の底に落とされることが、よくある。

 世の中を、人を呪い続けていた記憶は、まだ消えず、くすぶっている。

 

 

 私は自分を嫉妬深いと思う。それは、私の小説を読んでくれている人なら、きっとわかってくれるだろう。私は官能を書いてもホラーを書いても嫉妬を書く。嫉妬が現れてしまう。だからこそ、他人の嫉妬にも敏感だ。誰かが誰かを嫉妬している様子を、いつも冷めた目で眺めている。嫉妬しないと言いつつ、嫉妬して、それを取り繕っている様子を、意地の悪い目で見ている。そして、それを書いている。

 

 

 けれどやっぱり嫉妬は苦しい。これから先も、こんな嫉妬の心に囚われ続け、地の底に落とされなければいけないのか――そんなことを考えていたときに、「妬湯」に遭遇したのは、果たして偶然なのだろうか?。

 

 

 赤い鳥居の向こうに、手を合わせた。

 何かを願うわけでもなく、ただ手を合わせた。

 

 

 私を苦しめる、人を妬む心を、無くしてください――なんて、願えるわけがない。

 死ぬまで、この感情からは逃れられないことは、わかっている。

 私にできるのは、せいぜい、嫉妬に塗れた自分の醜い姿を書くぐらいだ。

 

 

 

2017年5月22日
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子どものいる光景と、子どものいない女

 

神戸元町のギャラリーヤマキファインアートに、写真家・キリコの個展に行ってきた。

 キリコと出会ったのは、数年前、宝塚在住の知人に「おもしろい子がいるよ」と紹介されてからだ。その後、偶然、彼女の中学校、高校の同級生の友人が、私の担当編集者であることが発覚したり、彼女にプロフィール写真を撮ってもらったりと縁が出来て、彼女の個展には足を運ぶようにしている。

 

 彼女の作品は、衝撃的だった。キャノン写真新世紀で荒木経惟氏に選ばれた「旦那 is ニート」は、高校時代から交際し結婚した夫が、内緒で会社を辞め家にいるようになり、幸せな結婚から、夫婦の気持ちがすれ違っていくままを描いた。

 その後、夫と離婚した彼女は、「運命の人だと思っていた人が、そうでなかった」と、愛し愛される人を探す旅に出るかのように、男たちの間を彷徨い、その様子を撮った作品が「オーディション」だ。

 その後、彼女は祇園の舞妓であった祖母や、祖母を介護する母親の姿なども撮影し、作品にして世に送り出していく。

 

 私生活では、再婚をして、子どもを望んだが、なかなか授からず、不妊治療に踏み切った。

 そんな彼女の今回の個展のDMを見たときに、私は、少し、ゾッとした。 

 子どもを欲しいけれど、授からない女。子どもができて、母親になった女。

 自分が女だからこそわかるが、女性として、一番デリケートな話だ。

 彼女は、敢えて、それを作品にしたという。

 以下が、今回の個展によせた彼女の文章だ。

 

 

「mother capture 」

女性の幸せや生き方について自分自身の人生に重ねながら作品を制作している。

現在不妊治療中の私は、子供を作りたくても作れない悩みを持つ多くの女性のうちの1人でもある。

 

痛みを伴う治療や、家計を圧迫する高額な治療費、それに毎月生理がくるまでの期待感と、きてしまった時の絶望感を繰り返す毎日。さらには周囲からの期待を感じたり、友人たちが次々と母になっていく姿を見て、私は女性としての至らなさや、敗北感を感じずにはいられない。時々そんな気持ちが、私の全てを飲み込んでしまうんじゃないかと思う程大きくなることもある。

 

だけど母親になったばかりの彼女たちの姿は、私にとって希望やあこがれそのものでもある。私はより客観的にその存在を認識するために、自らの意志でシャッターを切ることを止め、ビデオカメラを固定してその場からそっと立ち去ることにした。撮影者不在の中で撮影されたその光景は、私の個人的で主観的な想いから解放され、ありのままの現実を浮かび上がらせている様に思えた。

 

キリコ

 

 

 私には子どもはいない。結婚した年齢が40歳手前だったのと、小説家になった時期と同時なので、最初から子どもは作らないと決めていた。そのことを全く苦にはしていないし、ましてや不幸だとは思っていない。

 けれど、「本当は子ども欲しいんでしょ」「子どもは作ったほうがいいよ、今からでも間に合う」と、様々な人に言われた。陰で「小説家になっても、子どもがいないなんて可哀想」などと言っている人がいるのも知っている。

 腹は立たない。それよりも、不思議だった。私は、もっと女性の生き方は多様化していると思っていたのに、まだまだ「子どもを持つのが女の幸せ」と信じている人が、こんなにも多いことに驚いた。

 しかも私は40歳を過ぎていて、明らかに「高齢出産」になるのに、ここまで「子ども」をすすめられるとは思いもよらなかったのだ。

 

 周りには、子どもがいて母親になっている女性もいれば、欲しくてもできない人が、たくさんいる。不妊治療している女性は、本当に多い。

 かと思えば、望まぬ妊娠で、堕胎をしている人も、何人も知っている。

 産もうが、産ままいが、望んでできない、望まないのにできた……いずれにせよ、「妊娠、出産」というのは、女性の人生を左右する、大きな出来事だ。

 私にはふたり妹がいて、ふたりともに子どもがいる。妹たちが、子どもを産み、母となる過程を見てきても、子どもがいるということは大きな変化をもたらすし、「幸せ」だとも思う。けれど、私は子どもを望まなかったし、子どものいない人生を選択した。

 ありきたりな言葉になってしまうけれど、幸せは、人それぞれ、だ。

 そんなことは百も承知だけれども、子どものいない私は、子どもを望む人たちや、子どものいる人たちと接して、たまに、自分には違う人生もあったんじゃないかと心が揺らぐこともある。

 

 キリコの今回の作品を見て、私は、やはり、大きく心がぐらついた。

 子どもを抱く母親、それを撮影する不妊治療中のキリコ――

 彼女は母親である友人のみではなく、母親になれない自分の身体も「作品」にしている。

 おそらく、この展示を見て、共感して泣く人もいれば、戸惑う人もいるだろう。男性ならば、「見たくないものを見せつけられた」と暗い気分になるかもしれない。

 彼女の作品は、いつもそうだ。気負うことなく、自分自身を、他者を通してそのまま捉えている。それはとても自然で、当たり前のように目の前に存在するけれど、そんなことをできる人は、そういない。

 

 私は彼女の作品を見ると、ときどき、自分が叩き潰されるような感覚がある。今の私自身の思い上がりや、覚悟のなさや、弱気を覆う強がりを見せつけられるのだ。

 こういう人にはかなわないし、これが才能なのかとも思うと、胸が苦しくなる。

 だからとても、へこむし、いたたまれない。

 

 ふらふらしながら、神戸から京都に戻って、この文章を書きながら、少し泣きそうになっている。

 

http://www.gyfa.co.jp/jp/exhibitions/kirico2017.html  (個展は今月25日までです) 

 

2017年3月21日
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女の死

1997年3月8日の夜、渋谷円山町で客をひいていた女は、アパートの空き部屋に男と入り、その深夜、9日未明ごろ殺された。東京電力で女性初の総合職として入社したエリート女性が売春をしていたという事実は世間に衝撃を与えた。いわゆる「東電OL事件」であり、犯人は不明だ。

女性は39歳だった。

 

一昨日、ちょうど事件の20年後の、2017年3月8日の夜、私は渋谷の駅から円山町のラブホテル街を通り、女が立って客をひいていたと言われるお地蔵様の前を通り、そのアパートへ向かった。ここに来るのは初めてではない。

事件当初、私はまだ若く20代半ばで、身体も心も初体験の相手である一人の男しか知らなかったし、その男しか必要としていなかった。正直、東電OL事件は、ピンと来なかった。ただ世間が大騒ぎしていたのと、被害者に共感した女性たちが、お地蔵様や現場に参っているという話は印象的だった。

あの頃は、セックスで金銭を得るだとか、複数の男と「愛」のないセックスをするとか、セックスに愛や恋以外の意味があるなんて、自分とは縁のない話だと思っていた。

だから、東電OL事件は、遠い無関係な世界のはずだった。

 

事件が自分に迫ってきたのは、桐野夏生さんの「グロテスク」を読んでからだ。週刊文春連載時から抗えないほど自分の中に入ってきた。単行本になり、何度も読んで、泣いた。ラストは爽快だった。女たちが「彼の岸」に渡ることにより、解放されたのだと思った。憎悪と怒りの物語は救済の世界に辿りついた。

会ったことはなくメールのやり取りだけをしていたある女性に、その本をすすめると、「読み終わってどうしようもなく重苦しい気分になった」と言っていたが、私は全くそう思わなかった。そういえば、その女性は、後に女性の自意識を書いたエッセイで世に出たが、昨年、東電OLが亡くなったのと同じような年齢で、若くして彼の岸にいってしまった。

 

40代半ばの今の自分から考えると、39歳という年齢はあまりにも若い。どうしてそんな「若く」優秀な女性が、他人には理解しがたい奇行に走り、そのまま死んでしまったのだろう。事件以降、人々は様々な解釈をしたが、結局のところ、そう難しい話ではないと私は考えている。自分の価値をお金に換算して、女であることを確かめる。セックスするよりも、仕事で成功するよりも、恋人と睦みあうことよりも、それが「快楽」である女は確かに存在している。

そして、そのことが不幸だとも思わない。

不幸と決めつけて優越感に浸ったり、同情して陶酔する連中が存在するだけだ。

 

事件から20年後のあのアパートは、時間が止まったかのような佇まいでまだそこに在った。部屋には、誰も住んでいる様子はなく、厳重に鍵がかけられていた。

アパートの近くに電車が通るトンネルがある。いつもこのトンネルを見る度に、その闇の奥はブラックホールのようだと思う。出口のない虚無の穴のようだと。

 

道玄坂の、女が付近に立っていたと言われるお地蔵様の唇は、いつも紅を差したかのように鮮やかで、それを見て私は赤い口紅を買おうと思った。

 

ひとりであの場所に行くと、普段忘れている記憶が蘇る。

私自身の心の奥底から、「娼婦」の血が湧く。

「女」の赤い血が。

解放され、歓びに絶叫していた記憶が血と共に身体の隅々までいきわたり、私に力を与えてくれる。

 

 

あの事件から、20年が経ち、女たちは自由になったのだろうか。

私は全く、そうは思えない。

「女」であることで自分を雁字搦めにして苦しんでいる女は、たくさんいる。

私は女たちがもがき苦しんでいる様と、必死にあがいて解放される様を、物語にしたい。

 

2017年3月10日
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