花房観音 -Hanabusa Kannon-

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2015年、ありがとうございました。

2015年は前半、書下ろし&連載で結構忙しくて、後半はちょっとましで、先月ぐらいからまたバタバタしはじめました。
いろいろあったけれども(書けないことばかりな!)、昨年のように体調を崩すこともなかったし、歌舞伎やら旅行やらも行けました。
本は5冊(「鳥辺野心中」「指人形」「黄泉醜女」「女の庭(文庫版)」「時代まつり」)出版できたので、よかったです。

来年はもっと出す予定です。
そして来年2016年3月に、処女作「花祀り」を出版して、ちょうど5年になります。デビューした時に、「とりあえず、5年で5冊」というのが目標でしたが、予想外に5年の区切りの頃に20冊目の単著を出せそうです。
そのまた5年後はどういう状況になっているかわからないけれど、小説で食っていけてたらいいなと思います。
ただ本当に出版は厳しい状況で、本を書くだけではなく、どうやって売るかというのも作家が考えていかないといけないとも考えています。

とりあえず、来年一発目の単行本「好色入道」(実業之日本社)は、選挙エンターティメント坊主官能というジャンル分け不可能な長編小説ですが、よろしくお願いします。

それでは皆様、よいお年を!

2015年12月31日
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だらだらと

なんかみんな会社行ったり洗濯したり掃除したりダイエットしたり人づきあいきちんとしたりしてすごいよな。

なにひとつできなくてへこみます。

とにかく眠いし、だらしない生活です。

 

そんなだらしない生活ですが、先月のことになりますが「指人形」(講談社文庫)が重版かかり3刷になりました。

わーい。

 

眠いと集中力がなくなるので少しでも寝ることにしているのですが、寝ても寝ても眠いし寝すぎると腰が痛いしどないせっちゅうねん。

2015年11月09日
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女の庭

――男と寝ること、それ以上に楽しいことを私は知らない――

 

これは「女の庭」の主人公・絵奈子の台詞で、単行本の際に帯にも使われた言葉です。「女の庭」は、真夏の京都、8月16日の五山の送り火の日に、大学の恩師の葬儀の日に再会した場面から始まります。五山の送り火とは、京都市内の山々に火が灯される行事で、テレビ等でご覧になった方も多いのではないでしょうか。「送り火」のいわれは、お盆に帰ってきた先祖の霊を送る意味もあると言われています。

 バツイチで「男と寝るのを我慢できない」絵奈子と、呉服屋の娘で専業主婦の夫しか男を知らない里香、元モデルで東京から出戻った愛美、夫とカフェを営む唯、エステを個人で営むセックス嫌いの翠が深見教授の葬儀で再会しますが、彼女たちの胸に蘇ったのは学生時代、ゼミの際に「間違って」流された教授と女性の淫らな映像です。あの女は誰なのか――その疑問が、再び彼女たちの胸にくすぶりはじめます。

 女たちは、それぞれ性の秘密を抱えています。それと向き合うがゆえに葛藤し、悩み、他人から見たら非難され理解しがたい行動にも走ります。

 けれど私は彼女たちの誰ひとり、特別な女だとは思っていません。誰だって、普段は何気なく日常をやり過ごしながら、性の秘密を抱いていたり、人に言えないことをやっていたりするではありませんか。

 そうして彼女たちの様々な形の性の渇望は、寂しさとつながっています。

 

 私は未だに、純粋な性欲というものが実はよくわかりません。セックスしたいとか、男が欲しいという欲望の裏には、寂しさが常に張り付いています。それはたとえば恋人がいるから満たされるものでもなく、愛という曖昧なものなど介在しないほうがいいときもあります。

 そして年を取り身体が衰え死に近づいていく中で思うことは、セックスでしか救われないときがあるということです。愛されてもお金があっても仕事があっても紛らわすことができないどうしようもない孤独や不安が、人と肌を合わせることにより救われることがある。

セックス以上に確かなものはないと思うのです。身体をつなぐ行為である、セックスでしか。

 セックスでしか救われないなんて、ひどく弱く愚かなことかもしれません。けれどそれの何が悪いのでしょうか。寂しいから、人を求めることを、人を好きになることは、悪いことなのでしょうか。

 

「女の庭」の登場する五人の女は、皆、愚かで弱いです。

 でも、男だって女以上に愚かで弱い。

 そんな男と女が肌を合わせ、生きて行こうとする姿を嗤う人たちを、私は憐れみます。

 男と女が身体を重ねる以上に幸せなことはないと、私は思っているのですから。

2015年8月12日
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