花房観音 -Hanabusa Kannon-

情交未遂

あなたの話を聞きたい、あなたのことを知りたい、誰も知らないあなたを、私の言葉で書き残したいーー言葉でまぐわいたいのです

AV監督・カンパニー松尾

君がいるトーキョーなら素敵だ

2015年1月13日   インタビュー:花房観音   写真:木野内哲也   場所:HMJM、劇場版テレクラキャノンボール2013に登場するマンションの屋上にて

 ――松尾さんがずっとAVやってるのは、セックスが好きだから? AVが好きだから?

 

「AVが好きでセックスも好きです。セックスに関しては努力もするし。今でも衣装や下着は自分でそろえますね、女優さんの」

 

――セックスが好きなのは、仕事以外には、まんま快楽なんですか? セックスが好きってのも、寂しいからしたいって人とか、承認欲求の手段としてしたい人とか、肉体的な快楽としてしたい人とかいろいろ種類があると思うんですよ、男でも女でも。

 

「おちんちんのストレートな快楽もありますけど、あと撮影という枠で相手を思い通りにできる。俺はチャレンジも全然しないんですよ。こいつは倒せるってのを確実に見極めて自分の衣装を着せて倒す。男として金払ってやりたいことを金もらってやってる二重三重の悦びなんです」

 

――だから男性にとって松尾さんはヒーローなんですよね。憧れている人はたくさんいる。

 

「この人、仕事だけど半分趣味だっていうのがわかるんでしょうね。楽しんでやっているのが」

 

――私の周りって、男優の花岡じったさんファンの男性って多いんですけど、彼らが言うには、じったさんは「自分のやりたいことをやってくれる」。じったさんて野獣だから、ひたすらヤリたい! を剥き出しにして、突進する。そこがいいって。

 

「じったもそう。楽しんでるだけ、それがいい。狙ってるわけじゃない。たたじったにしろ、僕にしろ、そういうことを恥もてらいもなくできちゃう厚かましい人間なんです」

 

――男の人の中には、そういう願望があるんですかね。いや、女でもある人もいますけど。

 

「あると思います。でも実生活ではなかなかできない。好き好き同士でも、たとえセフレでも100%自分の欲望のままにできるわけじゃない。気もつかいますしね。僕も気はつかうんだけど、それ以上に自分の型にはめられるという悦びが強い。それは俺が童貞が長かったからでしょうね、ばねになってる。山下からは異常性欲者って言われる。でも今49歳で、そろそろ異常性欲者ではなくなってます」

 

――49歳って、どうなんでしょう。周りでは全然ダメな人もいれば、まだまだ元気な人もいる。

 

「人にもよるけど波もあります。テレキャノはダメだった頃です、最近持ち直しました」

 

――もう今は、プライベートではないんですか。

 

「全然ない。オナニーもしなくなった。結婚するまで毎日してたのに」

 

――これから先、ハメ撮りが出来なくなったりする日が来ますよね。

 

「当たり前ですよ。70歳までこんなことやってたらおそろしい」

 

――そのときは?

 

「考えてない。俺、物事が起きたときにしか考えられないんです」

 

――確かに先のこと考えても、絶対に予想通りになんてならないですもんね。たとえばこのテレキャノのヒットだってそうです。いい作品には違いないけれど、ここまで話題になるのはびっくりしました。

 

「不思議ですよね」

 

――だってテレクラキャノンボールそのものは十数年前からやってるし、松尾さん自身も昔からずっとAV撮ってて、それなりに支持する人たちもいました。けれどここまで正直言って、ブレイクするとは思わなかった。ネットのおかげでしょうか。

 

「6日間の限定公開のつもりだったんです。のちのカルトムービーとしてAV監督が公開した映画でもない映画として語られるとか、社員全員が思ってた。ただ公開前にギリギリまで編集やってて何も宣伝できてないのを見かねて平沢審判部長がFBのページを作ったり、トークショーを企画したりして、もともとの知り合いの松江とか山下敦弘くんとか雨宮まみさんとか宮台真司さんとかメールしてゲストで来てもらったんですよ」

 

――松尾さんのファンというか、V&Rプランニングのあの時代のドキュメンタリーを好きな人って、実は多いですよね。作家や映像関係の人で、何人も知っています。そういう人たちがある30代、40代になりある程度実績を産んで火をつけられる立場になったのかな。

 

「バッファロー吾郎さんとかお笑いの人と知り合ったりもしたし、今回、芸人さんで見てくれる人が多かったです。最初に公開されたときにトークゲストが豪華だってのと、例のネタバレ禁止を思いついてやったら、twitterで『感動した』『爆笑した』ってのが広まった。最初に観てくれた客筋がよかったんでしょうね。ある程度一般の子だけど、ある程度コミュニティを持ってるから広まっていく。信頼できる筋からの情報として広まっていった。案外、女性が反応してくれたのがよかったですね。女性のほうが横のつながりがあるし情報を重視する」

 

――それは大きいですね。本もそうなんですけど、女性は広めようとするけど、男性はしない。口コミを広げていくのは男性より女性です。

 

「意図はしていないんですけどね。あんなもんの女の客がつくとは思わなかった。男だけで見るもんだと思ってた。

 

――正直、私もそれは意外だったんですよ。テレキャノはレースだから女性に点数をつけて競争をするし、映像を見て男性たちが笑う場面もある。あれが女性蔑視とか差別とかとらえる人がいるんじゃないかと思っていました。

 

「俺もそれ一番きつくて。言われてもしょうがないなと思ってた。ひどい話してますしね、マイナスとか、この人は男にしか見えないとか」

 

――40代はマイナスとかね……。ああ、自分はマイナスだらけだーとか、私みんなが笑ってても笑えないとこあるもん。以前のテレキャノ作品でも、容姿で男性にあーだこーだあとで言われたり点数つけられたりとか、観てる側だからいいけど、自分が出演者だったらいたたまれないだろうなーと思った。

 

「トークショーのときに松江に、『今回、劇場版でやるということは女性に受ける要素はあるんですか』って生意気なこと言われたんですよ。悪意はなくて心配してるんだろうけど、俺はむかっときて、『100%ないんだよ!』って答えた」

 

――でも蓋を開けてみたら、不快感を覚える人がほどんといなかった。私もイベント等で何度か客席の様子を見てましたけど、反応は男女問わずよかった。

 

「案外、いろいろ女性向けってジャンルがいろいろできてて、実際それがフォーマット化されて形骸化されて、普通の女の子たちが女性向けカフェ、女性向けコスメ、全てが女性向けとか言って提供されて飽和状態になってる。でも実は女性だって辛い物好きだったりする。そうやってソフト化されたマーケティングの中で3・11があった。あれ以降、絆という言葉がやたらと出てきたり、被災地の方には申し訳ないけれど、不謹慎であるとかくだらないものを一切自粛せざるえない雰囲気がありました」

 

――ありましたね。その話は神戸の元町映画館で松尾さんとお話させていただいたときに、すごく印象に残っています。

 

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「一年間、マスコミがそういう空気だったから表現者の人も自粛せざるを得なかった。テレビは何年も前から不自由になって硬直状態、そういう中で敢えて意図的ではなかったにしろ、飽き飽きしていたときにテレキャノが突然変異で出てきた。結果論ですけど、たまたまああいうものを作ったら、待ってましたと言わんばかりに劇場で広まった」

 

――私、そんなに観てるわけじゃないので偉そうに言えないんですけど、最近の日本の映画って、貧乏くさいなって思うんですよ。そこそこ面白くて、よくできてるけど、なんか貧乏くさい。予算がないとかそういう意味はなくて、世界が貧乏くさいし、こじんまりしてる。しょぼい男としょぼい女の恋愛とか小さなコミュニティとか、そういうもののほうが今は共感されるのかもしれないけど、わざわざ貧乏くさい、あるある的なものをスクリーンで見せられてもなーって思うんです。現実が鬱々してるんだから、映画ぐらいは景気のいい、パーッとした豪快なエンターテイメントであって欲しい。

 

「歌もそうですよね。歌謡曲が無くなって個人史みたいな歌ばかりになって、その個人史も作詞家じゃなくてアーティスト本人が書いてるから、会いたいね会いたいねって、もうそんなのどうでもいいって思う」

 

――自分の中でぐるぐるしてる想いを吐き出してるだけ。小説も映画も恋愛や性愛が、主人公の自分探しになってる。他人との濃厚な関係性、そこから生み出されるものではなくて自分探しのオナニーの延長みたいな。相手不在」

 

「けどさ、僕もうんざりしてたし、みんなもそういうのに飽き飽きしてたんじゃないですかね。ナンセンスだったり出鱈目だったりお下劣だったり、そんなものがどんどんメディアから消えて浮かんでくるものは本当にみんなそうなんかなと思うようなものばかりで、さっき言った女子向けサービスとか、ふわっとした絆って言葉であったりとか。3・11があって、被災地に対して何ができるかってのは、最初は物資だったりするけど、やっぱり人間はそこだけじゃない。笑いであったり、不謹慎云々別にして、人を楽しませるのは必要。そんな悲しい出来事が本来あるのを踏まえて、それに対して、そこを深く掘り下げていくのもテーマとしてあるけど、それを忘れさせるような娯楽も必要。だって、それだけで生きてるんじゃない、生きてるというのは明日がある。でもなかなかそこから脱却できない状態だった、それが長すぎた」

 

――「18歳 中退してから」の中のバクシーシ山下さんの作品、阪神淡路大震災直後の神戸に被災した男優のところに、パッパラパーなギャルを連れていってセックスさせる。男は家も失い体育館で避難生活をしていて、神戸はまだまだ瓦礫の街で……だけど彼がセックスして本当に幸せそうだった。あれは今なら不謹慎だって糾弾されるでしょうけど、私は感動しました。いろんなものを失ってしまったけれど、セックスすると気持ちよくて、生きるってこういうことだよなって。それは「私を女優にしてください AGAIN11」でも、同じ。仕事や家庭の様々な出来事、家族の死があって、セックスがあって……あれ観て、セックスできるうちは人間は生きていられる、セックスっていいなって思いました。

 

「何が足りないのか、悲しみ糧になって次に何につなげていくのか、それが言えるのは1年後、2年後で、すぐには言い出せない。そういうもやもやが今回は長かったと思う。エンターティメントが凍結されてた」

 

――私、2010年の9月に新人賞をとって、最初に本を出したのが2011年の3月下旬で、震災の直後だったんですよ。だから「本が出ないかも」って言われてた。震災で紙をつくってる工場が流されたりもしたから。授賞式はむりやり決行されたんですけど、震災直後で余震も度々あったし東京の街が真っ暗で、食べ物の調達も難しくて料理もあまり提供できなかった。コンビニにも何もなかった。授賞式で東京に行って、喜びよりも、東京がこんな状態になっているんだというのを目の当たりにして不安になりました。なんとか本は出してもらったんですけど、喜べないんですよね。たくさん人が亡くなって、悲しい出来事が毎日報道されて、原発のことがあるから将来も不安で、日本がそんな状況の中で、しかも官能書いて作家デビューしました、本出しましたって宣伝したり嬉しがることができなくて、罪悪感が募りました。それでもやはり本を出したことは私にとってとても大きな出来事なんだけど、それも自分のことしか考えてないなって、また罪悪感を感じて落ち込んだり……。そんな状況だから、不安のほうが大きかったです」

 

「でも、それじゃあ生きていけないんですよ」

 

――そのあともそういう状況が続きました。小説書いてて罪悪感をずっと背負ってる。こんなことしてていいんだろうかって。国のため人のために声をあげて運動している人たちに比べて、すごく自分が身勝手なエゴイストに思えたし、実際に反原発運動や被災地の取材などをしている物書きの人たちに比べてあなたはとか、知人に責められるような言葉を投げられ傷ついたこともあります。今でもそれはわりとトラウマかもしれない、ずっとそういう人たちに対して変な劣等感や引け目が最近まであったし。でも、それでも書くことは止めませんでしたね。

 震災がきっかけで文章でも映像でも作品が作れなくなった人、何人か知ってるんですよ。あと、運動とか別の方向に行ってしまって創作しなくなった人。それだけ大きな出来事だったんだろうけど、残念です。映像でも文章でも、それができる人間は作品で社会に物申して欲しいというのがあります。作品の力って、すごいから。それができる人は、信じて自分の想いを作品にして欲しい。

 

「芸人さんは炊き出しよりも、笑わせに行くべきだと思うんですよ。でも、ムードがどうにもこうにもあのときはみんな怖い怖いになって何もできなかった。あれは俺もしんどかったな。AVの話でいうと、震災でショップが流れたとかいろいろあります。90年代にあれが起きたら、俺はAV女優連れていって餅つきでもしただろうにって考えると悲しくなった。是非とか善悪ではなく、やっぱりできる人ができることをやるって立ち返ったときに、AVやお笑いは自分のスタンスでやるべきことをやればいいと思うんですけどね。一番腹が立ったのは、逃げた人。逃げずにそこに行って見て、物をつくるべきだろうに。怖いのはわかるし、小さい子どもがいるといろいろ思うこともあるだろうけど、逃げるかって思った。そういうふうに見たくなかったけどね」

 

――見たくないもの、たくさん見ちゃいましたね。私はあの震災以降、正直、知り合いとかでも接し方を変わらざるをえなかった人が何人かいます。私自身もそういう人たちから見れば、自分のことばかり考えている身勝手なヤツと失望されてるかもしれないけど、私は私のできることしか、やりようがない。

 震災以降、決めているのはいろいろ思うことはあってもネットや公の場で政治や社会問題に関する発言はなるべくしないでおこうと。そういう発言をする物書きのほうが話題を集めて注目されるのはわかっています。そのためにニュースに張り付いている人もいる。けれど、自分がするべきことはネットなどで吠えるのではなくて、怒りも違和感も全て創作の中で描くことだと。だって、私の仕事は小説だから、エンターティメントを生み出すことだから。それは他の人にはできない、私の特権だし。あと、自分の読者にもいろんな立場の人や、いろんなスタンスの人がいるから、その人たちを不愉快な想いをさせたくない。

 

「何かの分かれ目だったかもしれない。そしてそれはやっぱり今でもダメージは受けてるね、エンターテイメントが」

 

――そんな中で、「劇場版テレクラキャノンボール2013」が話題になって、これはライターの東良美季さんともやりとりしてたんですけど、自分たちが良いって信じたものがやっと世に認められたって思いました。私が松尾さんを知った頃は、まさか十数年後にこんなに堂々と松尾さんの話を一般の人とできるようになるなんて思いもよらなかった。東良美季さんは、松尾さんのことを書くためにAVライターになったという以前おっしゃってたんですが、そうやって永く支持してきた人たちの声が届いたのかなという気もします。ライターの中村淳彦さんが、よく「東良美季チルドレン」という言葉を使いますが、松尾さんはじめV&Rプランニングの作品のことを書き続けてきた東良さんの文章に感銘を受けたり影響を受けた物書きは結構いて……中村さん自身もそうですし、安田理央さん、雨宮まみさん、私もそうです。他にもいるでしょうしね。

 

「でもAVとは何もつながってないんですよ。テレキャノ観た人、AV観てないもん。テレキャノは僕の範疇外、僕の世界ではないのが今の受け方だと思う。ヒットの要因は僕のAVどうのこうのではない。ただ僕がずっとAV監督をやってきた中の、あれはもうお釣りみたいなもの。でも本当はこれをAVにつなげないといけない。実際にヒットして、一番嬉しいのは梁井(梁井一・AV監督)とかみのる(ビーバップみのる・AV監督)とか山ちゃんとかが新作を撮ってくれたり面白いものにチャレンジしてくれてるのが嬉しいなぁ。売れるってことじゃなくて、受けたって実感。AVって今まで売れたことでしか評価されない、監督がいばってなかった。数字は重要ですよ、飯を食うために。でもモチベーションを俺は数字に求めない」

 

――本もどうしても数字を考えてしまう。売れるものを書かないととか考えてしまうことがあるんです。売れるものなんて私は書けないし狙えないしやると失敗するから考えちゃいけないけれど、やっぱり商品である以上、あと次につなげるために数字はちらついてしまう。自分が良いもの書いたつもりで褒められても、それが数字につながらなければ焦るし悲しい。作家がそういうの考えるのはいいことではないんですけどね。売れる売れないを先に考えて物をつくるとおかしくなりそうです。

 

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