怪談社 ~あやしの国の鬼たち~
怪談社 ~あやしの国の鬼たち~
2016年9月30日 インタビュー:花房観音 写真:花房観音 場所:大阪・十三にて
100年間、幽玄の世界が演じられてきた能舞台――厳粛な闇の中、観客は息を呑み、「彼ら」を待つ。音楽が止み、暗闇の中に現れた黒衣を纏う男達――柳のようにたおやかな物腰に似合わぬ迫力ある声の「紙舞―かみまい―」と、鬼と見紛うほどの禍々しさを纏う「紗那―しゃな―」のふたり組が現れる。彼らは、怪談の語り部――怪談師、である。4年前(*2012年時点)、彼らによって結成された「怪談社」は関西にとどまらず、怪談社書記・伊計翼の手による著書も数冊出版されている。寺や神社、銭湯、能楽堂や歌舞練場での怪談会の他に、芥川賞作家・玄月氏プロデュースの大阪の文学バー・リズールにての怪談語り、怪談文芸誌「幽」主宰の百物語への参加、複数の大学にての怪談語りなど、活動の場を広げている。
私が彼らの舞台をはじめて観たのは、2010年のことだった。小説家になる少し前、友人に誘われて京都の五条楽園という遊里にある歌舞練場で開かれた怪談会だ。性を売る女たちと、それを求めずにはいられない男たちの欲望の残留思念が漂い息苦しさを覚える場所に彼らは現れた。そうして語られるあやしの話――「紙舞」の口が開かれた瞬間、私は彼の声にぐっと胸元をつかまれ怪異の世界に引きずり込まれた。抗う力も与えぬほどに、紙舞の声は色気を帯びながらも迫力がある。それはまるで、存在感のある役者の舞台に呑まれたかのようだった。
紙舞の語りが終わり――相方の紗那は姿を見せない。観客がざわめく中、闇の中で客席からすっと現れた、さきほどより細やかに動いていた黒子が、布をとり顔を見せ、にやりと笑った。その表情は、さきほどまで女を喰らうていた美しき鬼をしのばせるような、毒々しい笑顔――文芸評論家の東雅夫氏により「色悪」と表現された男、紗那の登場だ。
怪談社の怪談会は、「舞台」だ。寺や神社、能舞台などの場所にて、毎回、様々な演出が施され、「怪談女」「常世ガールズ」の登場や、怪談を語るゲストを巻き込み観客を異世界に引きずりこむ。結成から4年が経ち、躍進を遂げてファンを増やし続けている怪談社――彼らの舞台がきっかけで、「怪談」の世界に足を踏み入れた者は少なくない。かくいう私も、その中のひとりだ。
破滅の匂いを漂わせ、時に笑いながら残酷な言葉を口にする「怪談社の悪いほう」紗那と、礼儀正しく人当たりもよい好青年だが、舞台にあがると欲情を誘う艶声で魔に魅入られたかの如く怪を語る「怪談社の良いほう」紙舞――対象的なふたりの男たちは、普段は大阪の十三(じゅうそう)に居を構えている。前回のインタビューの舞台ともなった、風俗店と飲み屋が立ち並ぶ欲望の匂いにむせ返る街・十三で、彼らの話を聞いてみた。
(*このインタビューは2012年当時のもので、怪談社は後、2014年に本拠地を大阪・十三から東京四谷に移し、2015年に紙舞は上間月貴、紗那は糸柳寿昭に改名)
――まず、年齢を。紙舞さんはお幾つですか?
紙舞「今、31歳です。8月で32歳になりますね」
――紗那さんは?
紗那「ひみつ――っ」
――紙舞さんは京都の人でしたっけ?
紙舞「京都府亀岡市出身です。京都市の隣の市ですね。そこで生まれ育って、大学を卒業して働き出してから京都市内に住みはじめました。そして怪談社やり始めてから十三へ。打ち合わせとかでいちいち大阪に行くのが面倒だったんです」
――以前、紙舞さんは大学の卒論で「呪い」について書かれたと聞いたんですけれど、大学はどちらですか。
紙舞「京都文教大学です。臨床心理学を学んでました」
紗那「お前、全然、心理なんて学んでへんやんけ! よぅ動揺しておろおろしとるやん!」
紙舞「……2年目ぐらいに興味がないことに気づきました……。けど、大学には文化人類学科もあって、書棚に柳田国男の本とかがあったんですね、遠野物語とか。そこからそういう不思議なものに興味を持ちはじめて、卒論を書くときにアンケートをとって、そこに『怖い話ないですか』という質問をしたら、結構集まったんです。ああ、現代でもこんなに怖い話があるんだ、おもしろいなって、そこから意識して怪談を集めるようになりましたね」
――「紙舞」って、妖怪の名前なんですね。神無月(10月)に紙がひとりでに舞い飛ぶという現象を起こす妖怪の。紙舞さんは、以前、京都大将軍の妖怪ストリート(妖怪で町興しをしている商店街)にも関わっておられましたね。
紙舞「そうなんです。今はもうタッチしてないんですけどね。僕は怪談もですが、妖怪も好きなんです」
――今は本業は介護士をされてるとお聞きしたんですが、何故福祉関係に?
紙舞「介護の仕事は親の影響ですね。親が青空学校の教師とかしていたので、その影響で資格をとって、大学を卒業して今に至るまで介護士です」
――紗那さんは、出身は沖縄ですよね。ずっと沖縄で育ったんですか。
紗那「ううん。沖縄と大阪と行ったりきたりしとった。親が仲悪くて、オカンが子供連れて家出するってのを繰り返してて。家を出るときに子供に何の説明もなく、『パン買いに行こう』って、年離れた妹を抱いて3人で、気づいたら全日空、みたいな。機内でパン食うたけど」
――パンを買いに沖縄から大阪……でも何で大阪? 誰か知り合いがいたとか?
紗那「当時は沖縄人からしたら、仕事イコール大阪やった。沖縄には仕事がない。大阪に定住したのは、大人になったからでっせ」
――紗那さんは、本業は彫師(刺青を彫る職人)ですよね。肌絵師とプロフィールにはありますが、他にもバーの経営もされてます。大阪来てから、ずっと?
紗那「いや、バーは最近やで。6年前ぐらいか。昔は会社員やった」
――えっ! 会社員?!
紗那「普通の会社員。現場で使う材料の営業で会社周りしててん」
――また、何で彫師に。
紗那「昔から周りにそういう人たち多かったし、画家になりたかったけど、どうなってなるのって。未だにわからへんねんけど」
――彫師って、どうやって修行するんですか。
紗那「修行いうか、実践ばっかりやで。昔は人肌に皮の張り方が近いいうて、大根彫って練習してたみたいやけど……俺も大根彫ったことあるけど、全然違うやろ! って。自分で人を彫れるようになってからが修行やな」
紙舞「紗那さんは、アメリカ行ってたこともあるんですよね」
紗那「機械彫りが入ってからやな。機械彫り学んだら、筋が楽で、発色度合いもいいねん」