映画監督・平野勝之
監督失格、その後――
2016年3月28日 インタビュー:花房観音 写真:花房観音 場所:渋谷某所にて
人との別れを想うときに、私の心に浮かぶのは、いつも平野勝之「監督失格」のラストシーンだ。胸を引き裂き、涙を血のように噴出させ、喚き、あがき、慟哭し、二度と手に入らないものに縋りつく。痛み、苦しみ、悲しみ、怒り――全ての感情が溢れ、全身がばらばらになりそうだ。
私はもう、人生の折り返し地点を過ぎてしまったからこそ、人と深くつきあうことが怖い。ましてや恋なんて、なるべくなら避けて、静かに穏やかに生きたいと願っている。それがどんな形であれ誰かと深く関わってしまうほどに、近づいてくる別れの辛さに耐えられる自信がない。
目を背けようとしても、容赦なく別れはやってくる。恋人との別れ、友人との別れ、そして家族との別れ。
これから先の人生、別れと遭遇する度に、私は「監督失格」を思うだろう。
平野勝之の叫びが頭の中で鳴り響く。
いっちまえ――。
「監督失格」は2011年に公開されたドキュメンタリー映画である。かつての恋人でもあり、仕事仲間でもあるAV女優・林由美香を不慮の事故で亡くした平野勝之、そして由美香の母たち残された人間の苦悩と再生が描かれている。
前半は平野が現在ライフワークとしている自転車旅行をはじめるきっかけとなった、映画「由美香」のダイジェストだ。1997年に公開されたこの映画は、最初は平野が当時不倫相手であった由美香と北海道に自転車で旅行する様を撮影し「わくわく不倫旅行」というタイトルのAVであったが、後に「由美香」と改題され劇場公開される。
その後、ふたりは別れ友人関係になる。2005年、平野が久々に由美香を撮影しようとしたところ、彼女と連絡がとれず、彼女は自宅マンションで睡眠薬と酒を併用して亡くなっていたのを平野は彼女の母と共に発見した。
かつての恋人の死の第一発見者となってしまった平野、長く確執があり、ようやくお互い心を開き近寄ろうとしていた際に娘を亡くした由美香の母親――。
彼らはもがいて苦しむが、それでも残された者は生きていかなければならない。
「監督失格」は全国公開され、人々に様々な衝撃を与えた。「素晴らしい作品」「感動した」「号泣して席を立てなかった」という声もあれば、「すごい作品だけど、二度と観たくない」「衝撃過ぎてつらい。人にはすすめられない」「これは映画ではない」という感想もあった。私の知人の何人かも「興味はあるけれど、観るのがこわい」と言っていた。
つらい、こわい、二度と見たくない、号泣して席を立てない――それほどまでにこの作品は壮絶な「別れ」の苦しみを描いていた。
私は試写会をはじめ、劇場にも何度も足を運んだ。試写会が終わり、ロビーに人が出てきた時、まるで葬式のようにどんよりして人々の表情は曇っていた。私は目をハンカチで押さえていた。ロビーにいた平野に「どうだった?」と聞かれたけれど、感想などその場で答えることができなかった。
ただ、この映画によせた由美香さんの母・小栗冨美代さんのコメントが全てだ。
「すばらしい映画、この一言につきる」
ラーメン店「野方ホープ」の創業者でもある小栗冨美代は、「監督失格」を見届け、2012年11月にこの世を去り、今は娘と同じ墓に眠っている。
平野勝之――1964年、静岡に生まれる。16歳の時にマンガ批評誌「ぱふ」にて「ある事件簿」でデビュー。17歳、「雪飛行」で「SFリュウ」誌の月例新人賞受賞。後、「ヤングマガジン」新人賞、ちばてつや賞佳作入選。18歳の時に自主映画作家に転進する。20歳の時に長編8ミリ映画「狂った触角」で1985年度「ぴあフィルムフェスティバル」入選。翌年「砂山銀座」で翌年は「愛の街角2丁目3番地」で連続入選。特に「愛の街角~」は招待審査員大島渚氏に絶賛された。後、AV監督に転進し、デビュー作「由美香の発情期 レオタード・スキャンダル」を皮切りに問題作を発表し続ける。
先に書いたように当時の恋人・林由美香と共に北海道を自転車で旅した「わくわく不倫旅行」(当時、平野は既婚者だったので由美香との関係は不倫になる)が「由美香」と改題され劇場公開され話題になる。後に自転車三部作といわれる「流れ者図鑑」「白 THE WHITE」も劇場で一般公開される。「流れ者図鑑」は映画監督・女優の松梨智子と北海道を自転車で旅し、「白 THE WHITE」は平野単独で厳寒の北海道に自転車を走らせた。由美香との旅がきっかけで平野は自転車にはまり、それからは彼のライフワークとなる。
2005年、由美香が事故で亡くなり、平野はその第一発見者となる。そして2011年に映画「監督失格」が公開された。