花房観音 -Hanabusa Kannon-

情交未遂

あなたの話を聞きたい、あなたのことを知りたい、誰も知らないあなたを、私の言葉で書き残したいーー言葉でまぐわいたいのです

映画監督・平野勝之

監督失格、その後――

2016年3月28日   インタビュー:花房観音   写真:花房観音   場所:渋谷某所にて

 

――あの映画の公開から五年が経とうとしていて、平野さんの次の劇場公開作を気にしている人は多いと思うんですよ。トンネルの先に、何があるのかって。

 

「そうなんです。だからあの映画は、小さい船がさ、もう絶体絶命の氷の中に閉じ込められて出られないところから、やっと出てきたんです。出てきて港に戻ってこれたという、そこまでの映画なんです。だから今、出港準備をしてて、これからちょっと海に出ていくぞ、みたいなところで。そのなかなか出港ができない状態でいるっていうのが一番悔しい」

 

――できないっていうのは、自分自身の精神的な状態ですか。

 

「それもあるし、環境がまずひとつ大きいですね。やっぱり、あんまり作れてないから。その分、文章の仕事とかしたりしてるんだけど。リハビリじゃないですけど、編集のアルバイトしたり、一応そういう意味では考えて作ってるので。自分の撮ったものじゃないけどね」

 

――撮るとしたら、その闇の先の光。

 

「いや、次はもう本当に……何だろうな。何て言うんだろう。だからちょっとテレキャノにそれやられちゃったんだけどさ、気持ちよくフッ飛ばしたいみたいなのがある」

 

――ただテレキャノって、あれは本当にいい流れを作ったと思うんですよね。結果的ではあるかもしれないし、松尾さん自身が一番それわかってる気はするんだけど。いい流れを作って、本当に面白いものを世に出そうって。今ってすごく簡単に安くで映画を作られるから、映画自体はたくさんあるけど、なんかちょっと貧乏くさいなって感じるんです。予算が安いって意味はなくて、作品の持つ雰囲気が。

 

「それは昔からそうですよ。たくさん映画はあっても、突出するのはなかなか少ない。どの世界でも」

 

――テレキャノ見て、いろんな人が衝撃受けてることに、私はちょっとびっくりして。あれは十七年前からやってたことだし、昔のV&Rの作品なんて、すごいインパクト強い作品たくさんあるから。だから、みんな、知らないんだな、って。だから平野さんが月刊平野って上映会しても、衝撃受けてる人も多いでしょう。

 

「うん。だから、やっぱり、もったいないんでね。自分たちがやってきたことが知られてないのは。月刊平野に関してはアーカイブを作っていて、いつでもほれほれって見せられる状態を作っておくってことなんですよ。そりゃ負けないですよ、テレキャノもすごいけど、こっちはもっとすごいぜって」

 

――正直、私もそう思いますよ。平野さんの過去作品、度胆抜かれるのたくさんあるから、全然負けてないですよ。

 

「いや、もちろん僕は松尾君大好きだし、そりゃもうテレキャノの編集を手伝ったときも『これすごいよ』ってずっと言ってたぐらいなんで」

 

――松尾さんと平野さんと山下さんの醸し出す空気というのは……なんでしょう。友情とか、仲間とか、そんなぬるいもんでもない気がする。

 

「よくわかんないです。意識してないんで。ただ昔、V&Rにいて、なんかわくわくするようなね、一緒に楽しいことやってるような、そういうのはあったんで、その空気は凄く好きですね」

 

――テレキャノが騒がれて、そのこと自体はいい面も悪い面も両方あるとは思うんですが、いい流れを作ったというのは確かでね、本当に。

 

「最近ちょこちょこ映画は見てるんだけど、これ見るんだったらテレキャノ見たほうが絶対面白いよというのはある、単純に。あれを映画として認めない奴らも多いみたいなんだけど、映画として根本のものはちゃんとある」

 

――小説でもそうなんだけど、共感できるとか、そんなことよりも、ぶち壊されたくて。わかるわかるじゃなくて、わからないけどすごいものを読みたいし、見たい。

 

「その向こうに突き進んで欲しい」

 

――そうそう、自分の発想の中にないもの。

 

「等身大なんかもう、簡単に超えて欲しいですよね。だから、原一男さんの『ゆきゆきて、神軍』の優れたところはそこなんだよね」

 

――あれは強烈ですもんね。

 

「そう、あれはちゃんと映画してる上に、等身大もクソもあるかって、そういう話でしょ」

 

――ものすごいものを見せつけられる。

 

「あれは凄かった。永遠の名作でしょう」

 

――来年に原一男さんの「全身小説家」のDVDが出るんですよね。(このインタビューは2015年10月)すごく昔に観たんだけど、その前に見た「ゆきゆきて、神軍」のインパクトが強いせいもあって、ピンとこなくて。今、自分が小説家になってから観ると違うんだろうなって、買うつもりなんです。

 

「あらためて見るとやっぱり傑作ですよ。ハードボイルド映画ですよ、あれは、いろんな意味で」

 

 

 原一男監督の「全身小説家」は、2016年1月にDVDが発売されて、すぐに購入して観た。小説家・井上光晴が亡くなるまでの三年間を追ったドキュメンタリーだ。話術に長けて、女性にモテる井上の嘘が、後半、どんどんと暴かれていく。小説という虚構を描く小説家は、虚構に取り込まれていたのか。それとも嘘吐きだから、小説家になったのか。

 小説は嘘だ。嘘だからこそ、真実を描ける。ノンフィクションには書けないことも、フィクションでは書ける。けれど小説を書き続けていくうちに、虚構と現実の境目が曖昧になる。

 果たして自分が虚構だと思っているものは、違うのではないか。

 いや、そもそも虚構と現実の境界線など、存在しないのではないのか。

 

 自分が小説家になって、何度か、「虚構が現実になる」ということを経験した。小説に書いたことが、実際に起こったのは、一度や二度ではない。それは私だけではなく、他の小説家の本を読んで思うこともあるし、友人の小説家は「だから私はそんなにたくさん本を出せないんだよ。虚構が現実になるのが、こわいから」と言っていた。

 どうせ虚構と現実がないまぜになるのなら、最初から混沌とさせてやろうと思って私が去年出した小説が「黄泉醜女」(扶桑社)だ。首都圏婚活連続殺人事件をベースに、「私」に近い女流官能小説家を主人公にして物語は進んでいく。

 この作品を描いて、改めて思った。

 虚構と現実の間をさまよっているのが、我々小説家であると。

 

「小説家は、どんなジャンルの小説を書いても私小説なんだよ」

 ある編集者にそう言われたこともある。

 それは確かに、書けば書くほどに痛感する。どんなジャンルのフィクションの世界を描いても、自分の中にあるものしか書けない。映画でも小説でも、作品は、それを作った人間自身だ。

 

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――平野さんは、劇映画よりドキュメンタリーを撮りたいんですか。

 

「いや、別に。題材によるんですよ。だから劇映画で、作り込むって部分はやってみたいね」

 

――あと、私、やっぱり「わくわく不倫講座」って、すごく優れた作品で、平野さんも書いてるけど、テクニックが全てつぎ込まれて、誰にも真似できないし、あれ以上のフェイクドキュメンタリーって多分作れないんじゃないかなと。でも、あれは最初からああいう形にするつもりはなかったんですよね」

 

「なかった。だから自分の中ではあれは別にフェイクドキュメンタリーって意識はないんです。映画としてっていうことでしか考えてないから、映画として考えたら別に、ドキュメンタリーも虚構も本来はないでしょうって思うんですよ」

 

――だって、あんな最初はラブラブの不倫が、途中でとんでもないことになってしまって。

 

「そうですね、まあ、さんざん語っていることで、あれはヒッチコックの『めまい』に着想を得たんです。最初から虚構なんですよ」

 

――平野さんの恋愛って、すごい突き進みますよね。好き好き好きで、女の人にカーッといつて。

 

「単純なんですよ。その辺は、正直者でバカ」

 

――「そして過剰。ハニーが書いてましたね、過剰な人だって。だから怒ってもがーっと怒るわけでしょ、嫉妬しても」

 

「うん、まあ怒る」

 

――嫉妬深いですよね。

 

「多分、嫉妬深いと思います」

 

――ねぇ、だから自分はいろんな女とつきあうくせに、女が他の男と関係持つのは許せない。身勝手な男ですよ。

 

「嫉妬深いから浮気性なんじゃないですか」

 

――何で?

 

「そりゃそうでしょう。嫉妬深いヤツほど浮気性なんですよ。嫉妬って心のメカニズムを考えてみるとよくわかるんですよ。嫉妬深いってのは相手を疑うことでしょう。自分がそうだからですよ。だから女でも嫉妬深いほど浮気性なんです。やるかやらないかは別として。自分がそうだから相手もそうだって思うわけですよ」

 

――そうですね。でも、本当に、平野さんは常に恋してますね。

 

「ああ、まあそうかな。いや、最近は前ほどでもないよ」

 

――確かに、落ち着いてきてはいるような。平野さんの場合、肉体的なものより精神的なもので女を必要とするのかなと思ってるんですよ、傍から見てて。

 

「それはあるかもしれない」

 

――甘えるときはすごく甘えるでしょう。

 

「最近はどうかな。このところは、自転車でひとりで放浪の旅できればそれが一番いいかな、と。たまにちょっとセックスしたくなって、どうしようもなく女に行きたくなるときが、女が必要なときがあるんですけど」

 

――じゃあ自転車ののめり込み方は、もう人生というか。

 

「もう、そうだね。多分、今、ここ何十年の間、何が幸せかって考えたら、由美香とのあの旅以降は。とにかく何かの仕事でも何でも、たとえば北海道行ってね、自転車を飛行機に積んで、空港に降り立って自転車を組み立てて走り始めた最初の数キロなんですよ。『ああ、しばらくは自由なんだー!』って。そのときが一番幸せなんです」

 

――平野さんは、やっぱり、自由じゃないといけないんだろうな。

 

「本当はね」

 

――いろんなこと、女性関係にしても仕事にしても自由じゃなければいけない。

 

「基本的にそうですね。まあ、その自由っていうか、自分の知ってる限りの範囲では一番自由に行ける範囲って意味で」

 

――最近、私自身も年齢を経たから思うようになったのかもしれないけど、自分自身も自由でいたいし、自分の好きな人たちにも自由でいて欲しいんですよね。だってもう人生の折り返し地点過ぎてるんだから、自由に好きにしないと死ぬとき後悔しそう。いつ死ぬかわからないんだもん。責任さえとる覚悟があるなら、何したっていいと思う。世間がうるさく何か言ってきても、人にどう思われるかよりも、自分がどうしたいかのほうが大事だから。

 とくに平野さんみたいに、生き方が作品そのものである人は、自由にしてもらわないとね。まあ本人がそうしたくても、周りがそれを許さなかったりとか、面倒はあるんですが。

前に、自分は自由過ぎるんだって言ってたでしょう。由美香さんもそうだけどって。

 

「だからもし俺がものすごい金持ちで仕事やらずに済んで生活できるんであれば、多分、一年ぐらい放浪してると思うんですね。一、二年か。それが多分、一番楽しいから」

 

――私、昨年、「黄泉醜女」の取材で中標津や別海行ったんですけど、本当に何もなかった。でもそれがよかった。平野さんはやっぱり北海道がいいんですか、自転車で走るとすれば。

 

「そうだね。北海道行くとふるさとみたいにホッとするんですよ、いつも。なんかに二度と戻りたくないと思う」

 

――北海道自転車旅行のきっかけとなった「由美香」は、やはり特別な作品ですか。

 

「まあ、そういう意味で、自分の人生が変わっちゃったんでね、あの作品によって。まさかあの時は、こうして自転車の旅っていうのが自分の中で深くここまで根差すことになるとはおもわなかったんで」

 

――でも平野さんの作品を見たいと言っている人のために、やっぱり劇映画でも何でも、時間がかかってもいいから見せて欲しい。

 

「あれ、だからさっきも言ったけど、ボロボロになって港に戻って、次の出港準備がまだできていないみたいな状態だから、ちょっと申し訳なく思ってますけど」

 

――ただ、いざ船出すよって言ったら背を押してくれる人はいるんでしょ。

 

「俺次第なんですよね、それは。それは別に他者のせいにするつもりはないんですが、自分は何が何でもこれをやろうっていう題材やら環境やらが自分でなかなか作れない状態っていうのが正直なところあります」

 

――それは日々の生活のことですか。

 

「もちろんそれは大きいですね。何とかしなきゃって焦りはあるけど」

 

――結構、有名な監督さんでも食えてないって、それが悲しいところです。なんかもっと才能ある人が、余裕持てる状況にならないのかと。まあ、でも平野さんが撮ることを諦めてなくてよかったです。

 

「諦めてはいないです」

 

――プレッシャーあります?

 

「それはあるよ。『監督失格』の次だから。だから甘木さん(監督失格の製作担当)とか、『そんなの考えなくてとにかく量産すればいいんだよ』とか言われるんだけど、何かね、そういう意味ではスランプなんだよ。スランプが永い。実を言うと、『白 THE WHITE』以降、スランプが続いてるんだよ。監督失格は新たに撮った気がしないし」

 

――まあ、そうですよね。

 

「だから、その第一歩を記さないといけないっていうのも、『監督失格』に関しては三十年ぐらいを一回リセットしちゃったような感覚なんだよね。二十歳ぐらいの映画に戻ってるのね、あれの最後は。それを、もういい年になってからいちからっていうのが、これどうすりゃいいのさってのが正直なところでね。だから一旦、糸の切れた凧みたいになっちゃってるんで、もう凧から作らないといけないわけですよ」

 

――ただ、平野さんて死ぬまで映像作家だと思うし、このままじゃ死ねないでしょう。

 

「そうだね、だから感覚としてほら、自転車のネタのほうで写真とかやってた時って、映画監督が死ぬと写真家になるじゃないけど、何かそんな感じなんです」

 

――雑誌「自転車人」で連載してたやつ読んでたから、こういうまた個人的な恋愛で作品撮るのかなとちょっと思ってたりしてね。

 

「そういう機会があれば別にいくらでもって感じだけどさ、わかんないですよね。思わぬところから変わるかもしれないし、由美香のときだって別に狙ってたわけじゃない。面白そう、面白そうでいつのまにかあれよあれよとなって」

 

――そうですよね、「流れ者図鑑」だって、松梨さんという人が現れて。

 

「あれは現れたっていうか、たまたま」

 

――平野さんの才能っていうのは、爆弾みたいなもんだから。

 

「怖がられるんですよ、何か」

 

――それはそうでしょう。作ってるものや画面の中のイメージで。私は実際の平野さん知ってるから、そうは思わないんだけど。

 

「仕事にまじめなだけなんですけどね」

 

――作品がね。水戸拷悶とかの。バクシーシ山下さんだってそうです。うちの夫がテレキャノ見てビックリしてましたもん。あんな穏やかそうな人なの? って。鬼畜だと思ってる人は多いですよね。

 

「普通の人ですよね、話してると」

 

――鬼畜社会派ドキュメンタリー監督だと思ってる人は多いけど、実際に会うとのほほんとした感じで。私の中では癒し系です、山下さんは。

 

「全然鬼畜社会派でもないです」

 

――そう。ただ単に何か面白がってるだけで、目の前の変なものをいじってる感じ。

 

「そういう意味では変なアカがついてないの、山下は。ある意味、純朴です」

 

――周りが社会派というか、意味をつけたがってるだけでね。エンターティメントに思想くっつけるのって私は野暮だなと思うんだけど。マッドマックスの時も、やたらジェンダー論で語られるの好きじゃなかった。

 平野さんも松尾さんもそうだけど、社会的なものってやってないじゃないですか。

 

「考えてない」

 

――たた単に自分が面白いとか、自分の琴線にふれるもの撮ってる。それがいいんだけど。

 

「そういう部分はありますよ。まあ、所詮、だって、たかが映画を作ってるわけなんで、そこに何かこう、社会に貢献しようだなんだのってあまりないですよ」

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