AV監督・カンパニー松尾
君がいるトーキョーなら素敵だ
2015年1月13日 インタビュー:花房観音 写真:木野内哲也 場所:HMJM、劇場版テレクラキャノンボール2013に登場するマンションの屋上にて
松尾さんと、東京の空を見ました。
まさかこんな日が来るなんて、思いもよりませんでした。
「君は小説家になる」と言い続けてきたあなたですら、想像はつかなかったのではないでしょうか。
とても、長い手紙になりました。
昔は毎日やりとりしていたけれど、今はもうこうしてあなたに何かを伝えることはほとんどないので、つい長くなってしまいました。
直接あなたに読んでくださいと連絡することはありませんが、何かのきっかけで目にしてくれたらいいなと願っています。
私が小説家になったときに、「あなたの本は全て読むよ」と言ってくれたのを覚えているでしょうか。忙しい人なので、そんな暇はないかもしれないけれど、読んでくれているものと勝手に思っています。
よくもまあ、小説すら書いていない私に「あなたは小説家になる」と言い続けてくれたものだと今さらながら感心します。けれど田舎でもう自分の人生は終わりだと絶望したまま生きていた私は、あなたがそう信じていてくれたから小説家になれたのです。
私はあなたを好きだったけれど、あなたには奥さんだけではなく他に女性もいたし、お互い我が強く短気で攻撃的な性格で過剰な人間同士だから、嫌なこともあったし、たくさん泣いたし、心の底から憎んだこともありますし、あなただって私を憎んでいたでしょう。今だって正直言うと恨み言は尽きません。
でも、あなたといるときはとても幸せでした。
松尾さんにインタビューするから、久しぶりに「パラダイスオブトーキョー」を観たけれど、心配していたように感情が溢れて泣くなんてことはありませんでした。
ただ、懐かしかった。それだけです。
松尾さんのインタビューのあとに、東京タワーの写真を撮りに行きました。
覚えのある交差点でした。
最初にあなたと会って東京タワーに行ったときも、最後にふたりきりで会ったときも、ここを歩いたような気がします。
そしてあれ以来、こんな近くで東京タワーを見るのは7年ぶりでした。
7年間、私は私なりに必死に生きてきたつもりです。他人から見れば醜悪で馬鹿げたこともしでかしたし相変らず褒められるような人生は送っていません。まだまだ昔の自分の愚かさゆえにしでかしたことのツケを払っている気がしています。小説家になりそこにしがみついてはいますが目指すものは遠く手を伸ばしても届くはずもなく足掻き続けています。優雅でも綺麗でも立派でもカッコよくもありませんがとりあえず小説だけは休むことなく書き続けています。松尾さんじゃないですけど、私は天才でもなんでもないのでとりあえずどんなときでも書き続けていたらなんかいいことあるんじゃないかとぼんやり期待しながらやっています。何よりも、あなたが読んでくれると信じているから。私が小説家になるのを応援して信じ続けてくれたあなたが。
私はまだ東京という街が怖くてて足がすくむけれど、それでも負けるものかと泣きそうな心を隠して高層ビルと華やかな人たちに圧倒されながら必死にこうして歩いています。
いったい、いつになったら堂々と人混みを歩けるのかと自分の心の幼さと脆弱さに辟易しながらも。逃げないのは逃げる場所がない、ただそれだけなのです。死ねないし死に損なったから生きてるだけだし、私はいつも不安で脅えていて、前向きで明るい未来を夢見ることもできません。
ただ最近はそれでもいいんじゃないかと思っています。馬鹿でもカッコよくなくても醜悪でも愚かでも後ろ向きでも、非難されて侮蔑されて嘲笑されても、ただひとりでも赦してくれる人がいるなら、それで生きていられると。
そうして小説を書き続けていたいです。死ぬまで小説家でいられたらいいと思う。肩書きだけの小説家じゃなくて、小説を生活の糧にしていたい。文章だけで食っていきたい。それが一番難しいことであるのは日々痛感しています。けど、そうでありたい。
そんな中で、あの松尾さんの「ラブビデオ」のように、誰かの心を揺さぶれるような物語を描けたら私のろくでもない人生も少しは報われるんじゃないか、私は私を少しばかりは赦せるのではないかと思っています。死ぬまでに、赦してやりたいのです、私を。そうじゃないと死ねない、死にたくない。いつ死んでもいいなんて、思わない。
そのときが来たら、東京という街に怖がらずに訪れることができるでしょうか。
あの「パラダイスオブトーキョー」でテロップに流れる松尾さんの言葉を、私の言葉にできるでしょうか。
――君がいるトーキョーなら素敵だ――
*「劇場版BISキャノンボール2014」 2/7~公開
*「劇場版テレクラキャノンボール2013」 ブルーレイ&DVD 2枚組セット!!
(2014.9.15東京にて)
*文中敬称略