劇場版テレクラキャノンボール2013 満員御礼!
「劇場版テレクラキャノンボール2013」ロフトプラスワンWESTご来場のみなさまありがとうございました!
大阪へ向かいながら、そしてイベントが終わり終電で京都に帰りながら、つらつらと考えていたことがありました。
私がカンパニー松尾さんを知ったのは、もう十数年前、私の、ふたり目の男からもらったダビングテープに収録されていた「熟れたボイン」です。
これはあちこちに書いてるけど、私の最初の22歳上の他に婚約者のいる男はセックスを餌に私から金を引き出して、そのくせ私が何か意見を言おうものなら罵倒され、喉から言葉を発することができないような状態に陥りました。
お金もなく、友人も失い、親とも距離をおかざるをえなかった。
どうしてそこまでと今なら思うけれど、当時は「自分のような人間のクズを相手にしてくれるのはこの人しかいない」と、すがりついていたのです。
この人に「君には物を書く力がない」と鼻で笑われて、私は十年間、文章が全く書けませんでした。
この男と関わっていた20代の頃は、とにかく死にたかった。
30歳までに死のうと思ってた。
男を殺すか、自分が死ぬか、そればかり考えていました。
最初の男から逃れるきっかけになったふたり目の男は、13歳上の妻子ある公務員でしたが、ライターもやってる人でした。
その人の存在がきっかけで、最初の男を断ち切ることができたけれども、このふたり目の人は心の病で、またしても私は罵倒され否定され、尊厳をぐちゃぐちゃに踏みつぶされました。
嫌な記憶しかありませんし、今は顔も忘れましたし、普段は思い出すこともありません。
ただ、その人からもらった、「熟れたボイン」が収録されていたビデオテープだけは、今まで捨てられませんでした。
テープが切れて無理やり補修しているので、ビデオデッキにかけることもできません。
あれから十数年経ち、一旦京都を離れて実家に戻って、また京都に戻って、結婚して引っ越してといろいろあったけれど、ずっと手元にありました。
私の人生の最低最悪の頃に、平野勝之さんの「由美香」という作品と出会い、その頃は小説家になりたいなんて思ってなかったはずなのに、生まれてはじめて「作り手」に羨望を覚えました。
個人的な恋愛感情を「作品」にして人の心を揺るがすことができる人が、羨ましくてたまらなかった。
ぼんやりと、いつか、自分もそんなことができたらと、願わずにはいられなかった。
そして、そのあと、カンパニー松尾さんの「熟れたボイン」に出会い、また、同じことを思いました。
いつか、こんなラブレターのような作品を、つくりたい、と。
それができる人たちが、羨ましくて眩しくて、憧れていました。
だから、ずっと彼らは、私にとって神さまのような存在でした。
雲の上の、手の届かない世界にいる、画面の向こうの、神さま。
平野さん、松尾さんだけではなく、井口昇さん、そしてバクシーシ山下さんの作品も衝撃でした。
バクシーシ山下さんの、突き放すわけでもなく、感情移入するわけでもない、不思議な距離のあるドキュメンタリー作品は、重い題材なのに軽快で、人間て滑稽で面白い存在だなと、思うことができました。
そんな「神さま」と、並んで喋っていることが、夢みたいやった。
ありえへん、信じられへん、と。
そして、イベントの前に、松尾さんに、私がふたり目の男からもらったビデオにサインをもらいました。
十数年、ずっとそばにおいていたビデオに。
いろんなことに区切りがついたと、思いました。
クソみたな私の20代に。
過去のくだらない男たちの記憶に。
愚かで醜悪で卑屈で、でも必死だった若い頃の自分に。
そして、「アダルトビデオ」に。
平野さん松尾さんの作品に出会い、「こんなラブレターのような作品をつくりたい」と羨望して、その想いが、私を小説家にしました。
ただ、私が平野さんや松尾さんのような「ラブレター」を書けているかというと、正直、まだなのです。
だから、書き続けないといけない。
私の前には、平野さんや松尾さんが、遥か向こうに走り続けているのだから。
終演後に、松尾さん、山下さん、マグナム北斗さんと握手しました。
最高にかっこいい人たちと。
若い頃、私は毎日のように死にたいと、そればかり考えていたけれど、死ななくてよかった。
生きてたら、こんないいことがあるんです。