「生き直し」 著・岡部えつ
私は岡部えつほど、「女」である人を知らない。
今どき流行りの「女子」でもない、おばさんじゃない、少女でもない、「おんな」。
そしてこの人は、幾つになっても「おんな」のままなのだろうと思う。
「いつまでも女でいたいの」とか「女に見られたい」なんて言っている者は、絶対に岡部えつの「女」には敵わない。
岡部えつという「女」は熟して腐る寸前の崇高なほどの甘さを持つ果実のような匂いを持ち、そのくせ果実を簡単にもぎとらせることはしない。
それは彼女の文章が、そうなのだ。
岡部えつの文章は乾いているのに艶がある。まるで冷感症の娼婦のようだ。
赤い襦袢を羽織り、男に媚を売るが、決して男のものにならず、そのくせ虜にさせてしまう、女。
たやすく人のものになどならない、女。
紛うことのない、本物の女。
岡部えつの「女」は、坂口安吾の「桜の森の満開の下」の「女」を連想させる。
美しくて禍々しくて怪しくて純粋で、戯れるために死人の首を男に求める女。
そして最後は桜の森の満開の下で、男に孤独を知らせる女。
そうだ、あの女の正体は――鬼だった。
岡部えつの新刊のテーマが「いじめとその傍観者について」だと聞いた時は、意外だった。
怪談文学賞でデビューして、今まで性愛の匂いのする怪異を描き続けてきた彼女が、そのテーマを選んだことが。
期待と不安を抱えながら新刊「生き直し」を読んだ。
理不尽な「いじめ」と遭遇した過去を持つ女が同窓会のために少女時代を過ごした土地に戻ってくる。
岡部えつの乾いた文体で、過去と現在が語られていく。
物語は最後に近づくにつれ、不穏な空気と、諦めと、不条理な現実が交差し、読者の目をくらまして迷わせる。
そしてラスト――私は爽快感で叫び出しそうになった。
ああ、やはり岡部えつという女は、女だった。そして鬼だった。
何度寝ても、その身体は冷たいままだから、切なくてなおさら身体を抱きしめて我が物にしようとするのに、そうすればするほど孤独を思い知らせてくれる、女。
最後の一文で、鳥肌が立った。
そうして鬼に喰われた私は、懲りずにまた彼女の次の作品が読みたくてたまらなくなっている。