花房観音 -Hanabusa Kannon-

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シネマ歌舞伎 「ヤマトタケル」

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シネマ歌舞伎「ヤマトタケル」を観ました。

御存じ、梅原猛が三代目市川猿之助のために書き下ろした作品です。

 

今回は昨年、新橋演舞場で開催された四代目市川猿之助(市川亀治郎さん)、そして市川中車(香川照之さん)襲名披露公演の模様です。

 

父恋し、ふるさと恋しのヤマトタケルの悲劇というのは、やはり切ない。

強いのに、心は子供のままのヤマトタケルのまっすぐな想いが悲しい。

 

そしてカーテンコールに登場した市川猿翁さん(三代目の猿之助さん)が猿之助さんと中車さんに手をとられる姿は。。。泣けました。

その前に、そっと猿之助さんが「これから一緒に歩んでいこう」とばかりに中車さんの手をひく場面も。

 

御存じの方も多いですが、猿翁さんは、女優の浜木綿子さんとの間に中車さんをもうけますが、彼が1歳に頃に、初恋の人で十六歳歳上の人妻である藤間紫さんのもとに走ります。

そうして中車さんは母親に女手ひとりで育てられのちに東大出の俳優・香川照之として芸能界で注目を浴びます。

中車さんが二十五歳の時に、父に会いに行くと、「大事な舞台のときに会いにくるとは役者として自覚が足りない」と追い返されたそうです。

 

のちに、藤間紫さんのとりなしにより、猿翁さんと中車さんは会うことができました。

そして四十半ば過ぎて、俳優・香川照之は息子と共に歌舞伎界に入ることを決めました。

四代目の猿之助さんと中車さんは従兄弟です。

 

そういう恩讐の永いドラマがあるからこそ、猿之助さんと中車さんに手をとられた猿翁さんの姿には盛大な拍手が沸きました。

 

今年の南座の顔見世は、四代目市川猿之助襲名披露公演です。

一年前から楽しみにしていました。

2013年10月17日
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知恩寺の手作り市

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昨日は朝から病院に行って(三時間待たされて疲れた)そのあとで知恩寺の手作り市に行きました。

たまに間違える人いるんだけど、知恩院と知恩寺は別の寺です。

知恩寺で毎月15日に開催される手作り市はレベルの高さにびっくりですよ。

 

私が普段身に着けてるアクセサリーはほぼ、ここで購入しています。

 

今回は雨のためにゆっくり見ることができず残念。

上記が戦利品です。

歌舞伎のやつは「市川團十郎さんです」とお店の人に教えてもらいました。

 

そういえば、私、團十郎さんの最後の舞台、観てるんですよね。

昨年の南座の顔見世、中村勘三郎さんの襲名披露公演だったんですが、途中、口上で、團十郎さんの力強い声での、勘三郎さんへの追悼の言葉、残された息子さんたちへの愛情の籠った言葉に涙がこみ上げてきました。

そして、團十郎さんの弁慶と、坂田藤十郎さんの義経の名演を観て……。

 

團十郎さんが体調不良で入院されたのは、その日の夜でした。

そして翌月、亡くなられたのです。

 

 

2013年10月16日
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「蛇行する月」  著・桜木紫乃

10/16発売の桜木紫乃さんの新刊「蛇行する月」を一足先に読みました。

 

釧路の高校の同級生の女たち、それぞれの「幸せ」のドラマです。

 

自分は幸せじゃないと、つい人を羨んでしまうあなたに、読んで欲しい。

 

幸せというのは、よくわかりません。

他人から見て恵まれて幸せそのものじゃないか、何もかも手に入れているじゃないかというような人が、ふいに命を絶って、周りを驚かせることもある。

よくもまあ、あんな状態で生きていられるね、逃げ出さないねという環境にいる人が、「幸せ」とにこにこ生きていたりもする。

 

私は二十代の時に、幸せというのは遠いもので自分には永遠に手に入らないものだと思っていました。

だから生きていてもしょうがないから、三十歳ぐらいに死ねたらいいなと思っていました。

自殺するという意味ではなく、(そんな勇気も覚悟もなかったので)誰かが殺してくれたらいいな、事故にあったらいいな、ぐらいのゆるやかな破滅願望です。

 

三十歳以降の自分というものが想像もつきませんでした。

 

今、思えば、悪夢のような生活でした。

 

そのあとも、積極的に生きようと思うようになったのは、ごくごく最近のことで、それまでは死ねなかったから生きてるようなものでした。

けれど、死に損なって生きて、幸せになりたいと思うようになりました。

 

今は、どうなんでしょうか。

よくわかりません。

結婚して、やりたい仕事で収入も得て、好きな場所に住んで―ー私は恵まれています。

幸せだと思います。

幸せじゃないというたら、怒られるぐらい。

 

けれど、満足はしていない。満たされてはいない。

飢餓感でいつも苦しい。手を伸ばしてあがいてあがいて己の欲の果ての無さが、つらい。

 

満たされないということは、幸せではないのではとも、考えます。

それならば私は全然、幸せじゃない。

 

けれど、満たされて、欲することをやめてしまうなら、小説は書けなくなる。

それならば幸せじゃなくてもいいのかもしれない。

 

 

「蛇行する月」

 

2013年10月15日
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