「蛇行する月」 著・桜木紫乃
10/16発売の桜木紫乃さんの新刊「蛇行する月」を一足先に読みました。
釧路の高校の同級生の女たち、それぞれの「幸せ」のドラマです。
自分は幸せじゃないと、つい人を羨んでしまうあなたに、読んで欲しい。
幸せというのは、よくわかりません。
他人から見て恵まれて幸せそのものじゃないか、何もかも手に入れているじゃないかというような人が、ふいに命を絶って、周りを驚かせることもある。
よくもまあ、あんな状態で生きていられるね、逃げ出さないねという環境にいる人が、「幸せ」とにこにこ生きていたりもする。
私は二十代の時に、幸せというのは遠いもので自分には永遠に手に入らないものだと思っていました。
だから生きていてもしょうがないから、三十歳ぐらいに死ねたらいいなと思っていました。
自殺するという意味ではなく、(そんな勇気も覚悟もなかったので)誰かが殺してくれたらいいな、事故にあったらいいな、ぐらいのゆるやかな破滅願望です。
三十歳以降の自分というものが想像もつきませんでした。
今、思えば、悪夢のような生活でした。
そのあとも、積極的に生きようと思うようになったのは、ごくごく最近のことで、それまでは死ねなかったから生きてるようなものでした。
けれど、死に損なって生きて、幸せになりたいと思うようになりました。
今は、どうなんでしょうか。
よくわかりません。
結婚して、やりたい仕事で収入も得て、好きな場所に住んで―ー私は恵まれています。
幸せだと思います。
幸せじゃないというたら、怒られるぐらい。
けれど、満足はしていない。満たされてはいない。
飢餓感でいつも苦しい。手を伸ばしてあがいてあがいて己の欲の果ての無さが、つらい。
満たされないということは、幸せではないのではとも、考えます。
それならば私は全然、幸せじゃない。
けれど、満たされて、欲することをやめてしまうなら、小説は書けなくなる。
それならば幸せじゃなくてもいいのかもしれない。