五条会館に行くために、久々に「楽園」を歩いた。
昨年末、「楽園」の取材で、特別に「部屋」に入らせてもらった。
かつて、女たちが男に抱かれていた部屋に。
そこは「赤」だった。灯りも、敷かれていた毛氈も。
既にそこは数年前から、使われていない部屋なのに、セックスの空気が充満しているように感じられて、編集さんと一緒に「え、エロい……」と声をあげてしまった。
かつて何百回、いや、それ以上、その部屋では男と女がからみあっていた。その欲望の亡霊が巣食っているようだった。
セックスの、亡霊が。
部屋を出て、編集さん(30代・女性)と私はふたりとも、さきほどのセックスの空気にあてられて、呆然としていた。
私はその夜、遅れていた生理がいきなり来た。
あの「赤」が脳裏から離れなくて、編集さんと「楽園」の装幀は、「赤」にしようと決めた。
あの頃、私は忙しい怒涛の一年を終えようとしていた時期だった。
心身ともに疲労していた。
仕事は恵まれて充実していたけれど、同時に「官能」というものと距離を置きたくてたまらなかった。
自分の思う「官能」は求められていないとか、自分自身が「女」を終わらせようと、諦めようとしているのに、「官能」を書き続けられるのだろうか、と。
女流「官能」作家という冠がついたゆえに、求められるものにうんざりもしていた。
男の欲望に応えられない、応えたくない自分には、できないと。
正直、この20年で一番ぐらいに性欲も枯れていたから、何もかもうんざりしていた。
「セックス」から離れたくてたまらない時期だった。
けれど、あの部屋に入った一瞬で、何もかも吹き飛んだ。
私の描きたいものは、この部屋の空気だ――そう思った。
あれは本当に不思議な体験だった。
既に使われていない「部屋」に入っただけで、いろんな葛藤や悩みが消し飛んだ。
後にも先にも、そんな体験は、あのときだけだ。
そのとき、「楽園」という小説は、次はゲラという最終段階に入っていた。
最後の最後に、ラストの章を大幅に加筆修正した。
あの部屋を訪れて、私は女たちを解放しなければいけないと思った。
それは私自身が救われたかったからにほかならない。