花房観音 -Hanabusa Kannon-

失われた「楽園」を求めて

image 五条会館に行くために、久々に「楽園」を歩いた。

 

 

 

昨年末、「楽園」の取材で、特別に「部屋」に入らせてもらった。
かつて、女たちが男に抱かれていた部屋に。
そこは「赤」だった。灯りも、敷かれていた毛氈も。
既にそこは数年前から、使われていない部屋なのに、セックスの空気が充満しているように感じられて、編集さんと一緒に「え、エロい……」と声をあげてしまった。
かつて何百回、いや、それ以上、その部屋では男と女がからみあっていた。その欲望の亡霊が巣食っているようだった。
セックスの、亡霊が。


部屋を出て、編集さん(30代・女性)と私はふたりとも、さきほどのセックスの空気にあてられて、呆然としていた。
 私はその夜、遅れていた生理がいきなり来た。

あの「赤」が脳裏から離れなくて、編集さんと「楽園」の装幀は、「赤」にしようと決めた。

あの頃、私は忙しい怒涛の一年を終えようとしていた時期だった。
心身ともに疲労していた。
仕事は恵まれて充実していたけれど、同時に「官能」というものと距離を置きたくてたまらなかった。
自分の思う「官能」は求められていないとか、自分自身が「女」を終わらせようと、諦めようとしているのに、「官能」を書き続けられるのだろうか、と。
女流「官能」作家という冠がついたゆえに、求められるものにうんざりもしていた。
男の欲望に応えられない、応えたくない自分には、できないと。
正直、この20年で一番ぐらいに性欲も枯れていたから、何もかもうんざりしていた。
「セックス」から離れたくてたまらない時期だった。


けれど、あの部屋に入った一瞬で、何もかも吹き飛んだ。
私の描きたいものは、この部屋の空気だ――そう思った。

あれは本当に不思議な体験だった。
既に使われていない「部屋」に入っただけで、いろんな葛藤や悩みが消し飛んだ。
後にも先にも、そんな体験は、あのときだけだ。

そのとき、「楽園」という小説は、次はゲラという最終段階に入っていた。
最後の最後に、ラストの章を大幅に加筆修正した。
あの部屋を訪れて、私は女たちを解放しなければいけないと思った
それは私自身が救われたかったからにほかならない。
2014年9月17日
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五条会館

image初めてここに入ったのは、もう4年以上前か。

亥戸碧さんに誘われて、怪談社さんのイベントに。

三輪チサさんとも、初めてここで会った。

 

2010年だった。

その年に、私は団鬼六賞を、三輪さんは「幽」怪談文学賞を受賞し、怪談社も処女作を出版した。

不思議な出会いのあった場所。

 

今年は、私も初めてこの舞台に上がった。怪談社さんのイベントで。

2014年9月16日
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MOVING Live 0 in Kyoto

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日は、10日ぶりの外出
五条会館での映像と音楽のイベントに行ってきた。
五条会館は怪談社の公演でお馴染みの場所です。春には私も舞台に上がった。築百年の風情のある建物。
そしてこの界隈は拙著「楽園」の舞台。
お目当ては「おそいひと」「堀川中立売」の柴田剛監督が撮った、「あらかじめ決められた恋人たちへ」の新作PV&あら恋の池永さんの生演奏。

舞台には大きなスクリーンが掲げられ、今までの作品「back」「翌日」「Fly」に加えた新作映像が一本45分の映画のように映し出される。
当たり前の日常が美しくそこに存在して流れゆく、その美しさが切ない。当たり前であるはずのものが、そうではないことに気づかされるからだろうか。ああ、本当に綺麗で、あの風景に私は憧れる。手が届かないからこそ、憧れる。
他の3組の映像&音楽もすごく良くて、全く退屈しなかった。
柴田剛監督の撮る映像は、美しい。ただ美しいだけではなくて、儚くて切ない。
それはいつか失われてしまうものである美しさだから、見る度に、胸が締め付けられる。
身障者の連続殺人鬼という重い題材を扱った「おそいひと」でも、私はとても美しい映画だと思った。
音楽のPVもいいけど、やっぱり柴田さんには映画を撮って欲しいな。スクリーンで、音楽に彩られた美しい物語を観たい。


 聴きながらなんとなく考えていたのは、小説でも音楽でも映画でも、私が惹かれるのは「静かな怒り」、「ユーモア」、「哀しみ」このどれかが存在するものなんだな、ということだった。

途中、雨が降ったりもしたし、五条会館には空調がなくて、しかもお客さんも多くて蒸し暑くて汗だらだらだったんだけど、その湿気が嫌じゃなかった。
場所柄か、なんだかエロいなって思った。
セックスのときの汗みたい。
2014年9月14日
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